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Chattisgarh (Rajim/Champaram)



旅のあらすじ

 マディヤパラデッシュ州の南部、チャッティスガーと呼ばれる地域は、古代ダクシン・コーサラ王国として栄えました。その歴史はラーマヤナにもさかのぼり、アヨディヤの王国を追放されたラーマ王子がこの地を旅した伝説は有名です。
 インドの人口の約20%はアディバシと呼ばれる部族ですが、チャッティスガーでは約45%を占め、土地の大部分を覆う森林や荒野には、古代信仰や伝統文化が生き続けてきました。歴史に残る、数多くの王国が築いた豊かな文明を保ち続けてきたチャッティスガーは、インドの最も興味深いエリアのひとつです。現在、チャッティスガーは州として独立しています。




シヤーム(黒)トルシー

毎日、数枚のトルシーの葉を食べると六万種類の病を予防する。


 インドを一歩一歩、奥へ奥へと踏み込んで行くと、ここチャッティスガーに辿り着く。以前よりチャッティスガーの聖地を訪れることに惹かれていた私達は、いよいよここへ導かれたようだ。ヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ信仰)の聖地と聞いていたチャンパランへと向かい、ここを拠点にマハナディ川のサンガムにある、聖地ラジムを訪れることに決定。このあたりの移動はローカルバスに頼ることになり、埃っぽいでこぼこ道を窮屈な小型バスに長時間座らなければならないけれど、窓越しにはインド神話を見ているような豊かな村の風景を眺めることができる。



ラジムの主

 マハナディ川のサンガムへ。ラジム市の旧市街にはヴィシュヌ・ラジヴロージャンの神殿がある。バスを降りると、あちらこちらで地元の人と話しをしながら岸への道を歩く。この町にある平穏な空気が心地よい。寺院の門をくぐると、僧達の快い歓迎を受けて中に導かれる。彼らは いかにラジムの主、ラジヴロージャン(ヴィシュヌ) を喜ばせるのか、日ごろの礼拝や供儀の説明をしてくれる。


 旅をしながら行く先々の寺院に滞在し、修行を続ける若いサドゥーが詳しく案内してくれる。ゲートや門をくぐるたびに、ラジヴロージャンに捧げられた芸術のすばらしさに心をうたれる。

 

 早朝より夜まで、定時に供儀・礼拝が行われていて、ダルシャン(対面) ができる。本堂へ。




  サンスクリット語の「バガヴァン(神)」とは、「あらゆる種類の富、完全な強さ、不朽の名声、完璧な美しさ、完全な知識、そしてこれらを含めたすべてのものに対する全くの無執着、この六つを兼ね備えた最高の人物。」と解説されています。バガヴァンへの純粋な愛をプレーマと呼び、プレーマの境地では神と人間との絶え間なき交流が可能になる、とギータは説明しています。


 蓮の目・ラジヴロージャン。 朝は少年のように、昼は若い王、夕方は老人に。衣装や飾りは毎回取り替えられ、供物とマントラ(ヴェーダの賛歌)が奉げられる。


私こそヴェーダ儀式であり、スムリティの供犠であり、祖先への供養である。
私は痛みを癒す薬草であり、マントラ(真言、聖歌)である。
またギーであり、火であり、捧げ物である。(B.G.9-16)




 若いババの住む小さな小屋でチャイ休憩。互いの旅の話に花が咲く。彼もカーディの綿を愛する一人。遥か彼方からやって来た小さな女の子をとてもかわいがり、トルシーの木のマラ(数珠)を彼女にプレゼントしてくれた。




どこを向いても素晴らしい石彫りに埋め尽くされている。
愛のこもった献身の賜物。

 


サンガム

ラジムでは三つの聖なる川が出会う。(Mahanadi,Pairi,Sondu)
マハナディ川とパイリ川がぶつかる浮き島にあるのは、クレシュワール(シヴァ神)寺院。


 水の減る乾季には歩いて河を渡ることができるので、トルシーは水遊びに精を出す。熱く焼けた砂の上を歩いてサンガムへ。

 


 二つの川に挟まれた広大な砂地のど真中。高い石垣の上にはクレシュワール寺院と大木がそびえ立つ。この巨木は古い寺の傍に生きて、いつも木陰を提供してきたのだ。
 寺院では神秘あふれる優美なリンガムとのダルシャンがあり、この砂と水に囲まれた神域は世界から離れている。
 サンガムが大河となる雨季、島の大半が水に沈むと、ボートに乗って寺へ行くという。

 

チャンパラン


Jai Sri Krishna !

 チャンパランでバスを降りた私達は、大きなダラムサラの門をくぐる。ここは小さな巡礼村だ。
 火の神アグニの化身といわれる聖者Vallabh(バラバ)は、約500年前、ここを通りがかった南インドのブランミン夫婦の元に生まれました。バラバのクリシュナ信仰(一元論)は、今日もラジャスタンやグジャラートを中心に広められています。土地の神、チャンパケシュワラ寺院と、信者によって建てられたユーモアあふれるバラバ・アチャーリア寺院。


 絵葉書やポスターがずらりと並んだ、寺の門前ギャラリー。神話のファンタジーにあふれるバラバ寺院の引き立て役。


 私達はグジャラートから移住してきた信者によって建てられた、古い大きなダラムサラに10日あまり滞在。この宿はとても清潔で、ヤードにある大きなかまどには薪が積まれていて、朝夕は熱いお湯がたっぷりと出るようにアレンジされている。ヴァイシュナヴァの聖地における神のゲストハウスは、素晴らしい環境で巡礼者を受け入れてくれる。穏やかな人々はいつも神クリシュナの名を唱え、夜にはどこからともなく、バジャン(神を称える歌)が風に乗って流れる。

 ダラムサラの裏にはバラバ寺院に献上された大きなガウサラ(牛舎)があり、毎朝牛乳を分けてもらうことになった。朝7時、隣のダラムサラへ牛乳代を支払いに行き、その領収書をもって牛乳を取りに行く。この巨大なガウサラにはインド各地から献上された立派な乳牛がたくさん飼育されていて、朝一番、牛達の背中を撫でて牛乳をいただくのは、この上ない一日の始まり。
 インドでは牛の数でその土地の豊かさがわかるというけれど、ここでは朝夕には移動する牛で村中が埋め尽くされる。唖然となるほどの大群である。高いところに上がってその光景を眺めると、牛たちと共に笛を吹いて歩くゴパーラ・クリシュナが目に浮かぶ。

 ヴェーダは、物質世界をサットヴァ(純粋性、光明)ラジャス(激動性)タマス(暗黒性、無知)の3つのグナ(性質)に分類している。チャンパランはサットヴァ・グナに満ちるヴァイシュナヴァの聖地。




休憩時間になると、子供達は必ず私達の部屋の前に
集まってくるので、トルシーも大喜び。

午前中はヤードで Vidya(精神知識)スクールと呼ばれる小学校が開かれていて、毎日村の子供達がやってくる。




  ボンベイからやってきた一行が催すカニヤンバジャン(子供達に食べさせる供犠)に招待される。神に捧げた供物のお下がりであるプラシャードを多くの人に分け与えるのは、もっとも尊い供儀のひとつで、インド各地で頻繁に催されている。ボランティヤだの援助だのという肩書きは必要ナシ。
  日曜の朝、子供達は沐浴を済ませて髪にブラシを入れてダラムサラにやって来た。 先生の合図で列に並んで座ると、大きな葉を縫い合わせた皿がずらりと並べられ、そこに、ご飯、揚げパン、豆やジャガイモなど数種類のカレー、セモリナ粉で作ったお菓子が次々にのせられてゆく。一生懸命に食べる子供達。もちろんトルシーも列の中に入って一緒に食べています。

火と鍋さえあればどこでも料理ができる。
ヴェーダに基づいたインド人の習慣。


 

 



 食べ終わると、ヤードの隅に食べ終わった皿を集め、各自手や口を洗って解散。 集めた皿の山には数匹の犬が駆け寄り、残飯を満腹食べている。そこへ牛もやって来て、葉皿を平らげてゆく・・・・ヴェーダに基づいた生活では、リサイクルもごみの振り分けも自動的に自然に起こる。



 


 伝統的な土塗りの民家は、常に清潔に保たれている。農作物も豊富で、各種トルシーや珍しい草木も多い。

 村の中心には日用品を扱うケラナドカンやチャイ屋が数件あるだけで、 一見何もない所のようにも見える。しかしよく見てみると、インドの純粋で豊かな農村の風景がある。





 神々の持つ力や役割によって、その土地の文化、習慣、暮らしも違う。ヴァイシュナヴァ (ヴィシュヌやクリシュナとその化身) の聖地には、サトヴィック(純粋)な美と知的さがあり、神への献身的な奉仕にいそしむ人々との出会いがある。

 

 

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