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旅のあらすじ
1999年10月〜2000年4月
6ヶ月の旅のあらすじを紹介します。
各場所の詳しい説明は写真集をご覧ください。
空港で両替を済ませると、すでに夜の12時をまわっていた。行き先未定の私たちは、たむろするタクシーの客引きの間をすり抜けて空港前の一角に腰を下ろし地図を広げる。ねっとりとした空気、雑音と喧騒、汗ばんだ顔、顔、顔・・・・嗚呼!
インドへ来たのだ。さてどこへ行こうか、ボンベイでの宿泊を避けてサイババの地、Shirdi(シアディ)を目指すことにする。
Nasik(ナーシック)経由でシアディへ行くバスを探そう。まずは黒と黄色のアンバサダーに乗り込む。まもなく3歳の誕生日を迎えるトルシーにとっては始めてのインド旅行である。私達を乗せたアンバサダーは案の定ガタガタキーキー音を立てながら走り、無言で目を見開いて窓の外を眺めるトルシーはインドと初の御対面をしているようだ、そっとしておく。 |
Shirdi Sai-Baba if you look to me, I´ll look to you |
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オームカレシュワーで壊れた私のコンタクトレンズを新しく買いかえるためにKhandwa(カンドワ)に立ち寄ったものの、あるのは眼鏡のみ。たかがコンタクトレンズのために、MPの悪路を1日かけてインドアまで引き返す気はないので、次の目的地ナークプールに期待しよう。ドイツから持ってきた古いボイスレコーダーを誰かに引き取ってもらうべく電気屋を訪ねると、献身なジャイナ教徒である主人は私達の旅にたいそう興味を持ち、話に熱が入る。なぜインドに来たのか、という質問に、バラティヤを探求するためにインドにやって来たことを話すと、彼は満足げにうなずいている。彼は驚くほどの高値でボイスレコーダーを買い取り、ティルタヤトラの中で役立てるようにと、更に100ルピーを差し出した。旅行者をぼったくるインディヤ、バラタ巡りの旅人はお布施を頂くのであった。 |
食べ過ぎないほうが良い・・・ |
朝方、マハラシュトラへの州境を超えると
MPのでこぼこ道はウソのように姿を消し、すべるようなアスファルトの道が続いている。バスはするするとナークプールの街へと入っていった。
眼鏡の街ナークプールはビルの立ち並ぶ都会であり、文学や芸術に豊かな街である。もちろんコンタクトレンズはたやすく手に入り、私達は郊外にあるラーマ神ゆかりの地、Ramtek(ラームテーク)を訪れる。 [ ラームテーク・写真集へ(3) ] |
ハンツが地図上にゴダヴァリ河のとあるサンガム(川の合流地)を発見。地名はカレシュワ−ルとあり、ゴダヴァリを挟んでMH(マハラシュトラ)とAP(アンドラパラデッシュ)の州境、AP側にある。どんな所なのか見当はつかないが、シヴァ神の聖地に違いない。
鉄道とローカルバスを乗り継いでカレシュワ−ルヘ。このあたりまで来る外国人旅行者はまずいないので、どこへ行っても私達の周りには人だかりが出来ている。APではティルグー語のみが使われていてヒンディー語は役に立たない。苦労して探し出したカレシュワ−ル行きのすしずめバスに乗り込み、農作物や家畜に囲まれてゴダヴァリを目指す。トルシーはすでに旅の生活にすっかり慣れていて、ウトウトしながらも急ブレーキで吹っ飛ばされないように手すりをしっかりと握り締めている。その姿はまるで年期の入った旅人そのもの。
バスを降りたとき、トルシーの首にはりついているダニを一匹発見。ダニにはいろいろあるけれど、これは頭の一部を皮膚に食い込ませて血を吸いながらどんどんと膨張してゆき、病原菌を媒介するという厄介もの。頭を注意深くきれいに取り除いてさされたあとを消毒する。 村やダラムサラでは始めて見る実物の外国人に対応が出来ないようで、どこか不自然な空気がただよっている。彼らは一日中我々を観察しながらも、無視し続けた。多くの巡礼者が行き交う聖地において、これほどまでの違和感を感じることは珍しい。ここは息を呑むほどに美しい場所であり、唯一話をした河沿いにあるチャイ屋の主人や調査にきていたハイダラバード大学の研究員によると、近郊にも興味深い場所は多い。 [ カレシュワー・写真集へ(4) ] |
トルシーは、ハードな移動のおかげで少し元気を取り戻したものの、まだ具合は悪そうである。駅で社会福祉の仕事をしているという一人のインド人男性が声をかけてきた。彼の話では、埃っぽいこの時期、豚を刺したダニがその病原菌を人間の子供に媒介して髄膜炎の一種を引き起こすため、多くの被害が出ているとのこと。病気にかかった子供が駅に送られてくるらしく、すぐに薬を与えるために彼は駅で待機しているのだった。驚いた私達は詳しい話を聞き、トルシーの症状を話してみると、彼はポケットから小ビンに入ったホメオパティックの錠剤を取り出して1日1錠、2日間飲ませてみるように、と紙に包んでくれた。2・3日でトルシーはケロリと元気になリ、私達はホッと胸をなでおろす。ここは神の国インドである、No Problem!神様はすべてをゆだねる巡礼者を見守ってくれる。 [ タドバ・写真集へ(5) ] |
健康と体重を取り戻した私達は楽園を去り、Raipur(ライプール)に向けて出発することになった。リキシャの騒音も、耳をつんざくスピーカーもない静かな日々は終わるのだ、でもどこか遠足に行く前の日のような気持ちである。 |
ライプールに着いてState Bank of Indiaへ直行してみると、やはりドイツマルクも日本円も受付けてもらえない。トラベラーズチェックのみ、という答えが返ってくる。以前トラベラーズチェックをなくしたとき、半年待ってもインド国内では再発行してもらえない、ということがあって以来、旅行中も現金のみを持ち歩いている。ブラックマーケットも米ドルのみ…ということは1日かけてナークプールまで引き返さなければならない。そのまま駅に向かいナークプール行きに飛び乗ったものの、本当に両替できるのかすら分からない。 |
チャッティスガーを流れる聖河マハナディの源泉があるそうな。ナークプールからの長旅に懲りず、ライプールを通って再び南へ。経済困難によりこのあたりではバスの運行が減っている。何度も乗り換えて、その度にいつ来るのかわからないバスを待つ。疲労が限界に達したと見えるトルシーは、バスの中でぐったりしている。 |
シハバを出たローカルバスは、荒野の中に点在する農村を巡リ、ジャングルの首都ジャクタルプールへと向かう。チャッティスガー南部"バスター"と呼ばれるこの地域には、様々なアディバシ(先住民族)の部落があり、羽をあしらい原色の衣装を着たアディバシが多くなる。ジャクダルプールに着くと情報収集に駆け回るが、休日にぶつかり、思うようには進まない。期待していた博物館もしばらく休館とのこと。街には都会から移住してきたヒンドゥー商人が多く、英語を話す人は多いけれど、地元に詳しい人は少ない。私達は、ある聖山を目指していたのだけれど、その山を知っている人は誰もいない。 |
このあたりには鉱山が多く、ジャクダルプールから港町Visakhapatnam(ヴィシャカパトナム)へ鉱物を輸送するために日本がひいた鉄道がある。山や美しい峡谷を通る素晴らしいルートだと聞き、この鉄道に乗ってさらに南下することにする。30年以上経った今、インドに手渡されてインド人旅行者やアディバシの足として活躍している。 [ ジャクダルプール・写真集へ(9) ] |
そうこうしている間に2000年のお正月がやって来る。世界がこの歴史的な瞬間に興奮しているように、ここヴィジャナガラムでも大晦日のインディアン・テクノパーティが開かれている。私達は狭い駅前ホテルの部屋で、全然正月らしくない正月を迎えることに…。元旦の朝、各家の前にはハッピーニューイヤーを施した美しい砂絵が描かれてあり、すべての人々と新年の挨拶を交わす。新しい年を迎え、初詣をかねてAPを一気に南へ下り、ヴァイシュナバ(ヴィシュヌ献身者)最大の聖地、Tirumara(ティルマラ)へ行こう。サプタギリにおわすベンカテシュワール(通称バラジ)、を訪ねてみようではないか。
ティルマラには巨大なダラムサラがあり、巡礼者は普通、24時間だけ滞在することができる。私達は事情を理解してもらい、3日間の滞在を許可された。何もかもとにかく巨大であることに目を見張る。バス停やきっぷ売り場、宿泊受付の前などは行列を整えるために鉄格子で区切られていて、異様にすら見えるけれど、南インドでは人が大勢集まると混乱状態になるので、高い鉄格子でその大衆に対応しなければならない。 [ ティルマラ・写真集へ(10) ] |
初詣を終えた私達は聖水の地、マハナンディをめざして夜行バスで北上する。夜中に着いた私達は、寺の裏側にある林の中で寝床を広げ、ひと眠りして朝になるのを待った。夜が明ける頃、鐘の音とマントラを読む僧の声で聖地の一日が始まる。林の中で寝ている私達を見つけて、「蛇がいるから危ない」と村人が騒ぎはじめた。寝起きを邪魔されたハンツが、「蛇は友達だから大丈夫だ。」と答えると、彼らは目を丸くしている。 [ マハナンディ・写真集へ(11) ] |
マハナンディの聖水を思う存分浴びた私達は、ゴダヴァリ川沿いにあるラーマの聖地、バドラチャラムを目指して、Nandyalより北へ向かう列車に乗り込む。私はこのインド鉄道になんともいえない愛情を感じる。列車の中は人々の生活の匂いにあふれ、窓の外の風景には飽きることがない。ナンディヤルを出てしばらくすると、両側には自生する大麻の林が延々と続く。 |
Jai Jai Sita Ram ! [ バドラチャラム・写真集へ(12) ] |
夜、ラジャムンドリに着いてみると、どこかこの街には奇妙な雰囲気が漂っている。疲れている私達は一晩の宿を求めバス停や駅の周辺を見て歩いたけれど、どれも小汚くうさんくさい宿ばかり。まだ夜の9時過ぎだというのに店や売店も閉まっている。地元の人の話では、犯罪の取締りを強化するために夜9時以降の商売は禁止されているとのこと。タバコやマッチもバス停の奥でこっそりと売買されている。ここはさっさと引き上げてヴィジャナガラム行きのバスに乗ったほうがよさそうだ。 [ シアプール・写真集へ(8) ] |
シアプールを去る日、荷づくりをすませた私達は、皆と別れの挨拶をしてバスが来るはずの村のチャイ屋へ。ところが今日は地方選挙で交通が麻痺しているらしい。しばらく待って、とにかくやって来たバスに乗りこみ、もよりの町へ。夜遅く、Bilaspur(ビラスプール)のバス停に着いたので、一泊して次の目的地を決めることにする。 |
一ヶ月後、アマルカンタクを出発した私達は、ナルマダのBhegaghatを訪れるためにジャバルプールへ。バスでジャングルと荒野を駆ける。現代世界から孤立したジャングルの奥にアマルカンタクがあることを再び実感する。突然、都会のジャバルプールにやってきた私達は多少拍子抜けしたものの、郊外を流れるナルマダの美しい姿にうっとりとする。大理石の峡谷を行くボートに乗り、聖水と戯れる。“ナールマデーハール!”これでナルマダともしばしの別れということになる。 [ ジャバルプール・写真集へ(15) ] |
デリー発ボンベイ行きの列車に乗り込む。トルシーと一緒に2等寝台で寝るのもいよいよこれで最後だ。ボンベイ近くで列車を降りて、地図を広げながら駅の叔父さん達と雑談していると、近くにあるロナブラというヒルステーションがよい、というのでプーナ行きの列車に乗りかえる。ロナブラはボンベイやプーナから多くの人がやってくるリゾート地のようだ。 [ ロナブラ・写真集へ(16) ] |
素敵な旅だった。神々や自然にガイドされた゛ティルタヤトラ"にて、私達は多くの経験をし、喜びを見出し、神の世界を学ぶことができた。神の偉大さに手を合わせ、私たちを快く受け入れてくれたインドの人々にも感謝しながら、バラータを飛び立つ。 |
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