ホームページはじめにインド旅行学ティルタヤトラ写真集ヴェーダの神々シンボル聖地と寺院人と暮らし旅の知恵コーラムヤントラゲストブック


旅のあらすじ

1999年10月〜2000年4月
6ヶ月の旅のあらすじを紹介します。 各場所の詳しい説明は写真集をご覧ください。


Bombay(ボンベイ)〜Omkareshwar(オームカレシュワール)


 空港で両替を済ませると、すでに夜の12時をまわっていた。行き先未定の私たちは、たむろするタクシーの客引きの間をすり抜けて空港前の一角に腰を下ろし地図を広げる。ねっとりとした空気、雑音と喧騒、汗ばんだ顔、顔、顔・・・・嗚呼! インドへ来たのだ。さてどこへ行こうか、ボンベイでの宿泊を避けてサイババの地、Shirdi(シアディ)を目指すことにする。 Nasik(ナーシック)経由でシアディへ行くバスを探そう。まずは黒と黄色のアンバサダーに乗り込む。まもなく3歳の誕生日を迎えるトルシーにとっては始めてのインド旅行である。私達を乗せたアンバサダーは案の定ガタガタキーキー音を立てながら走り、無言で目を見開いて窓の外を眺めるトルシーはインドと初の御対面をしているようだ、そっとしておく。

 空港では、この時間にボンベイを発車するバスはない、といわれたけれど、インドに不可能は無い。ボンベイのとある一角へ来ると道脇にまるで我々を待っていたかのようにバスが一台とまっている。ナーシック行きのバスだった。スムーズな滑り出しに顔を見合わせる私達。真夜中にいきなりにょきっと現れた外国人一家に驚いたバスの運転手は、ここぞと1000ルピーを吹っかけてくる。降りようとすると、100ルピーに。  「道路に人が寝てる!?」 仰天しているトルシーと私達を乗せて、バスはすごいスピードと言いたいところだけれど、恐ろしくゆっくり走り出した。(私達は、車が時速200キロで走る国に住んでいる。)早朝ナーシックで乗り換えてシアディにたどり着く。その距離、たしか200kmあまりだったはず…夜通しかかるのがインドである。ドイツからここまで一気に来たのだから、とにかくここで2・3日すごして、その先について考えることにしよう。


Shirdi Sai-Baba
if you look to me, I´ll look to you


 トルシーにとって、目に入ってくる光景、耳を震わす音、鼻を突く匂い、まったりとしたインド牛乳の味・・・・すべてが新しい。興味深々、すべてを観察している。聖者サイババのサマディテンプルがあり、多くの人が訪れるこの埃っぽい小さな町で、私達はまずカルチャーショックを消化していった。鳴り響く鈴や鐘の音、経文を読み上げる僧の声を聞きながらサイババに挨拶をする。門前には聖地特有のにぎやかさがあり、なんとも懐かしい。早速、必要なものをいくらか調達して自炊をはじめる。舌ずりをしてトルシーを襲う蚊の対策も練らなければならない。こうして私達はまずインドに到着した。

 シアディを出発した私たちは、ティルタヤトラの第一歩として聖河ナルマダを目指す。MP(マディヤパラデッシュ州)、の聖地、オームカレシュワールへ。ナルマダへの道は最難バスルートの一つ、雨季が明けた後のインドの道は最悪である。M.Pの道の悪さと、じりじりと照りつける太陽に、私はインドに来たことをしみじみと実感した。旅は気が遠くなるほど長く、私達の限界が近づいた頃、ありがたいことにナルマダが雨季明けの茶色いにごった水をたたえてその姿をあらわしてくれた。「ナールマデーハ−ル!」、バス中に喜びの声が上がり、窓からパイサ(コイン)を 投げる。
 ナルマダに浮かぶ島、オームカレシュワールでの滞在は約1ヶ月に及び、そのなかで私達は 旅を進めるためのトレーニングを積んでゆきました。

[ オームカレシュワー・写真集へ  1  1a  2  ]


Ramtek(ラームテーク)

 オームカレシュワーで壊れた私のコンタクトレンズを新しく買いかえるためにKhandwa(カンドワ)に立ち寄ったものの、あるのは眼鏡のみ。たかがコンタクトレンズのために、MPの悪路を1日かけてインドアまで引き返す気はないので、次の目的地ナークプールに期待しよう。ドイツから持ってきた古いボイスレコーダーを誰かに引き取ってもらうべく電気屋を訪ねると、献身なジャイナ教徒である主人は私達の旅にたいそう興味を持ち、話に熱が入る。なぜインドに来たのか、という質問に、バラティヤを探求するためにインドにやって来たことを話すと、彼は満足げにうなずいている。彼は驚くほどの高値でボイスレコーダーを買い取り、ティルタヤトラの中で役立てるようにと、更に100ルピーを差し出した。旅行者をぼったくるインディヤ、バラタ巡りの旅人はお布施を頂くのであった。

 その後ナークプール行きの夜行バスに乗り込むと、空いているのは一番後ろの席だけ…。私はアジア各地のバスルートを経験してきたけれど、これは世界最悪のバス旅行ではなかろうか。バスは前後左右にジャンプし、トランポリンに乗ったような状態が朝まで続く。雨季のあとで道路の破損がひどい。いや、これはとても道路といえる代物ではなく、暗いジャングルの中を迂回して、折れている木の枝をよけて踏みつけて、砂塵を巻き上げながらガタゴトゆっくりとバスは走り続けた。どうやっても開いてくる窓からは冷たい風が吹きつける。凄まじいジャンピングバスの中でトルシーは毛布に包まってよく眠っている、どんなカルマ(因果)でこの世に生まれてきたのかは知らないけれど、私達のところへやって来た彼女は、血統書付の「旅っ子」といえる。



食べ過ぎないほうが良い・・・

 朝方、マハラシュトラへの州境を超えると MPのでこぼこ道はウソのように姿を消し、すべるようなアスファルトの道が続いている。バスはするするとナークプールの街へと入っていった。 眼鏡の街ナークプールはビルの立ち並ぶ都会であり、文学や芸術に豊かな街である。もちろんコンタクトレンズはたやすく手に入り、私達は郊外にあるラーマ神ゆかりの地、Ramtek(ラームテーク)を訪れる。

[ ラームテーク・写真集へ(3) ]


Kareshwar(カレシュワール)

  ハンツが地図上にゴダヴァリ河のとあるサンガム(川の合流地)を発見。地名はカレシュワ−ルとあり、ゴダヴァリを挟んでMH(マハラシュトラ)とAP(アンドラパラデッシュ)の州境、AP側にある。どんな所なのか見当はつかないが、シヴァ神の聖地に違いない。 鉄道とローカルバスを乗り継いでカレシュワ−ルヘ。このあたりまで来る外国人旅行者はまずいないので、どこへ行っても私達の周りには人だかりが出来ている。APではティルグー語のみが使われていてヒンディー語は役に立たない。苦労して探し出したカレシュワ−ル行きのすしずめバスに乗り込み、農作物や家畜に囲まれてゴダヴァリを目指す。トルシーはすでに旅の生活にすっかり慣れていて、ウトウトしながらも急ブレーキで吹っ飛ばされないように手すりをしっかりと握り締めている。その姿はまるで年期の入った旅人そのもの。 バスを降りたとき、トルシーの首にはりついているダニを一匹発見。ダニにはいろいろあるけれど、これは頭の一部を皮膚に食い込ませて血を吸いながらどんどんと膨張してゆき、病原菌を媒介するという厄介もの。頭を注意深くきれいに取り除いてさされたあとを消毒する。
 ジャングルをぬけるとそこは地の果てだった。大地は大きく裂け、青々としたゴダヴァリ河の流れが唯一、ときを刻んでいる。カレシュワールの村には、ゴダヴァリ河を望む丘の上にシヴァ寺院やダラムサラー(宿泊所)がある。11月に入り、北インドは気温が下がってきたため南へ下りて来たら、ここは今でもすごい暑さで、日中はとても歩きまわれない。

 村やダラムサラでは始めて見る実物の外国人に対応が出来ないようで、どこか不自然な空気がただよっている。彼らは一日中我々を観察しながらも、無視し続けた。多くの巡礼者が行き交う聖地において、これほどまでの違和感を感じることは珍しい。ここは息を呑むほどに美しい場所であり、唯一話をした河沿いにあるチャイ屋の主人や調査にきていたハイダラバード大学の研究員によると、近郊にも興味深い場所は多い。

  ところがここでトルシーは体調を壊し、何を食べても吐き出してしまう。日に日に痩せていく彼女を見ていると、ダニに刺されたことも気になる。村の医者を探し出してどんなに説明しても、「犬に噛まれた」としか理解してくれず、私達はとにかくここを出てゆくことにする。目指すは小児科病院のある町。炎天下の砂地は牛車に乗り、渡し舟で向こう岸に渡るだけで半日かかる。雨季で橋や道路が壊れ、荒野のなか道無き道をジープやバスを乗り継いで夜遅く駅のある町にたどり着く。

[ カレシュワー・写真集へ(4) ]


Tadoba National Park (タドバ国立公園)

トルシーは、ハードな移動のおかげで少し元気を取り戻したものの、まだ具合は悪そうである。駅で社会福祉の仕事をしているという一人のインド人男性が声をかけてきた。彼の話では、埃っぽいこの時期、豚を刺したダニがその病原菌を人間の子供に媒介して髄膜炎の一種を引き起こすため、多くの被害が出ているとのこと。病気にかかった子供が駅に送られてくるらしく、すぐに薬を与えるために彼は駅で待機しているのだった。驚いた私達は詳しい話を聞き、トルシーの症状を話してみると、彼はポケットから小ビンに入ったホメオパティックの錠剤を取り出して1日1錠、2日間飲ませてみるように、と紙に包んでくれた。2・3日でトルシーはケロリと元気になリ、私達はホッと胸をなでおろす。ここは神の国インドである、No Problem!神様はすべてをゆだねる巡礼者を見守ってくれる。
 カルマ(業)を洗い流して元気を取り戻したものの、しばらく休養を取る必要があるので、私達は次の目的地をタドバ・ナショナルパーク(MH)に決めた。国立公園には、快適なバンガローがあり鳥や動物もいる、しばらく静かな自然の中で疲れを癒すのもいいだろう。

  私達を乗せたローカルバスは農村を通り抜け、タドバ国立公園の入り口ゲートでチェックを済ませて、ジャングルの中へと入っていった。夕方、最終バスで突然やって来た私達に、バンガローの職員はあたふたしている。国立公園に滞在するには普通、もよりの町にあるオフィスで予約を取る必要がある。もちろん予約など無い私達である。話しは上司からその上司へと伝わり、「要人」の一種であるドイツ人+日本人+幼子の一家は、湖のほとりにある快適なバンガローに滞在を許可された。公園管理の主任は私達が快適に過ごせるようにすべて計らってくれて、翌日、チャンドラプールのオフィスで予約を取り、1週間ジャングルパラダイスを楽しむ。

[ タドバ・写真集へ(5) ]


Rajim(ラジム) 〜Champaran(チャンパラン)

  健康と体重を取り戻した私達は楽園を去り、Raipur(ライプール)に向けて出発することになった。リキシャの騒音も、耳をつんざくスピーカーもない静かな日々は終わるのだ、でもどこか遠足に行く前の日のような気持ちである。
 タドバを出発して夜遅くライプールのバスターミナルに着くと、まずは休憩。最終バスの終わったバスターミナルは閑散としていて、一軒のチャイ屋だけが開いている。チャイを運んできた男性のここで何をしているのか、という質問に、ティルタヤトラの道中であることを話す。チャイワラーは目を輝かせながらチャッティスガールについて話し、次から次へと地図にはない興味深い聖地や寺院の名前を教えてくれるのだった。驚いた私達は、全部をメモに取ることに夢中。チャイ屋は店を閉め、興奮して地図をのぞきこむ私達を残して皆帰っていった。やはり古代インドの王国が連なるここチャッティスガールには私達のまだ知らない神の足跡が残されている。チャイワラーの出現はまるで神様の伝言人に出会ったようであり、神々がおいでおいでをしているかのようだ。ライプールにいったん部屋を取り、詳しい情報収集に精を出す。まずはChamparan(チャンパラン)やRajim(ラジム)を訪れることにする。
  ヴェーダの文化が今日も繊細に実践されている村の生活は、まるでインド神話の中に紛れ込んだかのよう。平穏があり、野菜、果物、菓子などが豊富に並び、牛にあふれている。愛される神々とその足元に喜びを分かち合いながら生きている人々が在る。私達は巡礼者として温かく迎えられ、超越的な日々を送る。

 ここでインドルピーの残りが少なくなっていることに気がつく。この先両替のできそうな場所は無いだけに、再びライプールへと引き返さなければならない。後ろ髪を引かれるような気持ちで素敵なチャンパランの村を出発。

[ ラジム/チャンパラン・写真集へ(6) ]


たかが両替、されど両替

 ライプールに着いてState Bank of Indiaへ直行してみると、やはりドイツマルクも日本円も受付けてもらえない。トラベラーズチェックのみ、という答えが返ってくる。以前トラベラーズチェックをなくしたとき、半年待ってもインド国内では再発行してもらえない、ということがあって以来、旅行中も現金のみを持ち歩いている。ブラックマーケットも米ドルのみ…ということは1日かけてナークプールまで引き返さなければならない。そのまま駅に向かいナークプール行きに飛び乗ったものの、本当に両替できるのかすら分からない。
 ナークプールの駅前にあるSate Bank of Indiaは、コンピューターがずらりと並ぶモダンな造りで、ここなら何とかなりそうだ。私達は外貨取り扱い専用の部屋に通され、待つこと数時間。ここでもT・C、米ドル・英国ポンドなら問題はないのだけれど、円やマルクには縁がないらしい。係りの人は青い顔をしてあちこち電話をかけている。両替申告書と見慣れないお札は手から手へ銀行中を巡り続ける。このままでは夜になる!?痺れをきらす私達が、゛一番上゛に直訴することをほのめかすと状況は急変し、すんなりとルピーを出してくれる。やれやれ、ライプ−ルへ引き返し、旅を続けよう。


Sihava(シハバ)

 チャッティスガーを流れる聖河マハナディの源泉があるそうな。ナークプールからの長旅に懲りず、ライプールを通って再び南へ。経済困難によりこのあたりではバスの運行が減っている。何度も乗り換えて、その度にいつ来るのかわからないバスを待つ。疲労が限界に達したと見えるトルシーは、バスの中でぐったりしている。
 バス停にもなっている、シハバの村のチャイ屋でバスを降りて休憩。チャイワラーの話では、すぐ近くにP・W・D Rest houseがあるとのこと。これは英国占領下時代に英国役人が使用した洋風の建物。現在は道路工事の視察に来る役人がおもに使用し、旅行者も許可を得れば宿泊できる。チョ−キダー(門番)にわけを話すと、いきなりの珍客に彼は困った顔をしている。ここでも事前にオフィスで予約を取ってくる必要があるのだ。とにかく1泊して次の日町のオフィスで手続きをすることで解決。
 ここで英国人以来の外国人客である私達は、村をあげての歓迎を受けることに。

[ シハバ・写真集へ    7  |  8   ]


Jagdalpur(ジャクダルプール)

 シハバを出たローカルバスは、荒野の中に点在する農村を巡リ、ジャングルの首都ジャクタルプールへと向かう。チャッティスガー南部"バスター"と呼ばれるこの地域には、様々なアディバシ(先住民族)の部落があり、羽をあしらい原色の衣装を着たアディバシが多くなる。ジャクダルプールに着くと情報収集に駆け回るが、休日にぶつかり、思うようには進まない。期待していた博物館もしばらく休館とのこと。街には都会から移住してきたヒンドゥー商人が多く、英語を話す人は多いけれど、地元に詳しい人は少ない。私達は、ある聖山を目指していたのだけれど、その山を知っている人は誰もいない。

 このあたりには鉱山が多く、ジャクダルプールから港町Visakhapatnam(ヴィシャカパトナム)へ鉱物を輸送するために日本がひいた鉄道がある。山や美しい峡谷を通る素晴らしいルートだと聞き、この鉄道に乗ってさらに南下することにする。30年以上経った今、インドに手渡されてインド人旅行者やアディバシの足として活躍している。
 どれくらいの部族が暮らしているのだろう。これもインドなのか!?と驚く私。彩り豊かなアディバシに囲まれた、最も美しい鉄道の旅だ。汽車はチャッティスガールを出て、オリッサの南端を通過すると、アンドラプラデシュへ。私達は美しい峡谷のあるAraku(アラク)に立ち寄っていくことにする。

 ところが、クリスマスホリディにぶつかってインド人観光客がどっと押しかけてきたた。私達は二・三日の滞在後、足早にアラクを出発し、バスでヴィジャナガラムへ。都会からやって来たインド人観光客、特に学生グループにとっては、美しい峡谷や寺院より外国人やその子供のほうが興味をひくらしい。私達は彼らの好奇心の的になり、中には無礼な連中も多いためこういう時にはさっさと退散するに限る。肌にまとわりつく暑さや南国の植物が南へ来たことを知らせてくれる。ヴィジャナガラムの駅前にある適当なホテルに宿泊して、これからの旅の計画を立てる。

[ ジャクダルプール・写真集へ(9) ]


Tirumara(ティルマラ)

 そうこうしている間に2000年のお正月がやって来る。世界がこの歴史的な瞬間に興奮しているように、ここヴィジャナガラムでも大晦日のインディアン・テクノパーティが開かれている。私達は狭い駅前ホテルの部屋で、全然正月らしくない正月を迎えることに…。元旦の朝、各家の前にはハッピーニューイヤーを施した美しい砂絵が描かれてあり、すべての人々と新年の挨拶を交わす。新しい年を迎え、初詣をかねてAPを一気に南へ下り、ヴァイシュナバ(ヴィシュヌ献身者)最大の聖地、Tirumara(ティルマラ)へ行こう。サプタギリにおわすベンカテシュワール(通称バラジ)、を訪ねてみようではないか。

 北インドで使用した毛布やショール、長袖の衣類をカバン一つに詰め込み、ヴィジャナガラム駅の荷物預かり場に預けていくことにする。1日1Rsで1ヶ月まで預けられるのはとても便利、熱い南インドでは荷物を少なくして身軽に行きたい。南インド最大の聖地Tirumala(ティルマラ)、最寄の駅Tirpati(ティルパティ)へはインド中からの直行便がある。鉄道だけに限らず専用の空港もあるので、インド中、世界中の巡礼者が集まってくる。普段でも一日六万人、祭り時などはおびただしい数の人々が一度にやってくるらしい。私たちの乗った列車も参拝者であふれている。ティルパティに到着すると、私たちも人々の流れに沿って山頂行きのバスに乗る。

 ティルマラには巨大なダラムサラがあり、巡礼者は普通、24時間だけ滞在することができる。私達は事情を理解してもらい、3日間の滞在を許可された。何もかもとにかく巨大であることに目を見張る。バス停やきっぷ売り場、宿泊受付の前などは行列を整えるために鉄格子で区切られていて、異様にすら見えるけれど、南インドでは人が大勢集まると混乱状態になるので、高い鉄格子でその大衆に対応しなければならない。
 幼い子を連れたアジア人とヨーロッパ人の家族はどこへ行っても好奇心旺盛な人々の注目の的となる。インドの名前を持つトルシー(トルシーとは神に捧げる最高の供物であり、ヴィシュヌに最愛された女性の精が宿るバジル科の植物)は話題の中心であり、インドでは愛情で子供のほっぺたを軽くつねる習慣があるため、一日中つねられる彼女のほっぺたはすっかり赤くなってしまう・・・・。
 ティルマラを出て風の神、Kalahasti(カラハスティ)を訪れるがここでも宿泊は容易ではなく、1泊でダラムサラを出てゆかなければならない。

[ ティルマラ・写真集へ(10) ]


Mahanandi(マハナンディ)

 初詣を終えた私達は聖水の地、マハナンディをめざして夜行バスで北上する。夜中に着いた私達は、寺の裏側にある林の中で寝床を広げ、ひと眠りして朝になるのを待った。夜が明ける頃、鐘の音とマントラを読む僧の声で聖地の一日が始まる。林の中で寝ている私達を見つけて、「蛇がいるから危ない」と村人が騒ぎはじめた。寝起きを邪魔されたハンツが、「蛇は友達だから大丈夫だ。」と答えると、彼らは目を丸くしている。
 見物人が増えてきたので、寝床をたたんで店を空けたばかりの門前チャイ屋に腰を下ろす。主人は店の神棚に香を焚き、手を合わせてマントラを唱えながらチャイを沸かす。朝一番のチャイはまずバーナーの火や地面に捧げられ、その後チャイを待つ客へ。店の繁盛もチャイの味もデーフター(神々)の力によるものであり、日常生活の中に神々の存在は常に意識されている。近くにダラムサラがあることを聞き、寺へ参る人々に逆行してダラムサラへ。私達はジャングルの真中にある小さな巡礼地にほっとしながら、神秘の水に感嘆する毎日を送る。

[ マハナンディ・写真集へ(11) ]


Bhadrachalam(バドラチャラム)

 マハナンディの聖水を思う存分浴びた私達は、ゴダヴァリ川沿いにあるラーマの聖地、バドラチャラムを目指して、Nandyalより北へ向かう列車に乗り込む。私はこのインド鉄道になんともいえない愛情を感じる。列車の中は人々の生活の匂いにあふれ、窓の外の風景には飽きることがない。ナンディヤルを出てしばらくすると、両側には自生する大麻の林が延々と続く。
 夜、大きなジャンクションであるVijayawada(ヴィジャヴァダ)についたけれど、バドラチャラムへ行くローカル列車は次の日の早朝まで待たなければならない。駅の売店でVada(南インドのスナック)を買いこみ、プラットホームの一角に腰を下ろす。お腹がふくれたトルシーは毛布に包まって寝ている。私達も横になり朝まで待つことにする。早朝、憧れの地バドラチャラムへ向かって出発。アディバシ(部族)の多い列車の中は、とにかくにぎやかで楽しい。終点の駅でバスに乗り換えてジャングルをゆく。

  Jai Jai Sita Ram !
 夕方バドラチャラムに到着。静かなダラムサラに宿泊したつもりだったのに、隣に町の映画小屋があることをすかっリ忘れていた。映画小屋からもろに漏れてくる音楽や叫び声は一日中繰り返され、映画を見なくてもそのシーンは目に浮かび、テーマソングやキメのせりふが耳から離れない。
 バドラチャラムの丘の上にある寺院には、シタ・ラーマ・ラクシュマンが愛くるしい姿で聖河ゴダバリを望めてる。ここはラーマのジャングルだ!!原始林の森に今も生きるラーマヤナの世界を感じる。

 このあたりには道らしき道はなく、ゴダバリ河を行くボートが密林に暮らす人達の交通手段となっている。Rajamundry(ラジャムンドリ)へ向かうボートに乗った私達は、青々とした雄大なゴダバリの流れに乗って、神が創造した自然の美しさに感動する。

[ バドラチャラム・写真集へ(12) ]


Sirpur(シアプール)

 夜、ラジャムンドリに着いてみると、どこかこの街には奇妙な雰囲気が漂っている。疲れている私達は一晩の宿を求めバス停や駅の周辺を見て歩いたけれど、どれも小汚くうさんくさい宿ばかり。まだ夜の9時過ぎだというのに店や売店も閉まっている。地元の人の話では、犯罪の取締りを強化するために夜9時以降の商売は禁止されているとのこと。タバコやマッチもバス停の奥でこっそりと売買されている。ここはさっさと引き上げてヴィジャナガラム行きのバスに乗ったほうがよさそうだ。
 蚊の大群と格闘しながら待つこと数時間、バスが来たと同時にいっせいにかけこむ人々に負けじと私達も満員のバスに座る場所を確保した。朝日が昇る頃、ヴィジャナガラムのバス停に着き、朝食をすませて駅前のなじみの宿へ直行。約一ヶ月ぶりなので、宿の人々に訪れた聖地の様子を話したのち、三人ともどさっとベットに倒れこむ。
 1月後半、シャンカラントリの日を境に北インドも少しずつ暖かくなるので、そろそろ北上してチャッティスガーの旅を再開しよう。ヴィジャナガラムの駅で預けていた荷物を受け取り、ライプール行きの普通列車に乗る。その後ローカルバスを乗り継いで古代マハコーサラ王国の首都、シアプールへ。
 懐かしい北インドの生活と人々の笑顔に迎えられ、南北インドの違いを実感する。

[ シアプール・写真集へ(8) ]


Amarkantak(アマルカンタク)

 シアプールを去る日、荷づくりをすませた私達は、皆と別れの挨拶をしてバスが来るはずの村のチャイ屋へ。ところが今日は地方選挙で交通が麻痺しているらしい。しばらく待って、とにかくやって来たバスに乗りこみ、もよりの町へ。夜遅く、Bilaspur(ビラスプール)のバス停に着いたので、一泊して次の目的地を決めることにする。
 ビラスプールまで来たということは聖河ナーマダの源泉、アマルカンタクが近い。食料品などを補給し、出発前にはバス停のチャイ屋に頼んでカロシンも分けてもらい、アマルカンタク行きのバスに乗りこんだ。バス停はバナナの山にその半分を占領され、新鮮なチャナダルも枝豆のように束になって籠にどっさりと詰まれている。皆でチャナダルをかじりながらマイカラ山脈の奥地へ。バスは少しずつ高度を上げ約90キロも続くジャングルを走る、もちろん一日がかりの旅だ。夜遅く、懐かしいアマルカンタクのバス停に到着すると、「ナールマデーハール!(流れよ、ナーマダ!) 」皆で喜びを分かち合う。

 私達はダラムサラへ向かって暗いアマルカンタクの村を歩いた。夜はまだそうとう冷え込み、トルシーは寒くてこれ以上歩けないとベそをかいている。ダラムサラ近くまで来ると、暗闇の中から「ナールマデーハ!」と誰かがいった。おやっ?外国人の声である、インド人の発する「ナールマデーハ!」はナーマダへの愛情と喜びに満ちている、外国人ツーリストのそれとは一味違うのである。ダラムサラに着き、寺主のババと再会を喜び合いトルシーを紹介すると、「グリヤ(小さな女の子) がきた!」あっという間にちらほら女の子達が顔を出し、新しい出会いにワクワクしている様子で出たり引っ込んだりしながら近づいてくる。もちろんトルシーの疲れは吹っ飛んでいる。

 寺の敷地内には数家族が住み、空いている部屋はダラムサラとして使われている。すべてのナルマダ巡礼者が目指す女神の誕生地は、古代より奥義の宿る聖域として知られている。ナルマダデビ(女神) の森でしばらく過ごすことにしよう。ジャングルがもたらす美しい自然と豊富な食に恵まれ、そして鍛えられ、アマルカンタクのワンダーランドを散策する。

[ 女神の森・写真集へ  13  13a  14  ]


Jabalpur〜Delhi(ジャバルプール)〜(デリー)

一ヶ月後、アマルカンタクを出発した私達は、ナルマダのBhegaghatを訪れるためにジャバルプールへ。バスでジャングルと荒野を駆ける。現代世界から孤立したジャングルの奥にアマルカンタクがあることを再び実感する。突然、都会のジャバルプールにやってきた私達は多少拍子抜けしたものの、郊外を流れるナルマダの美しい姿にうっとりとする。大理石の峡谷を行くボートに乗り、聖水と戯れる。“ナールマデーハール!”これでナルマダともしばしの別れということになる。
 旅は残すところあと1ヶ月となった。この地域にはよい綿があるので、綿布団を3枚新調して船便でドイツへ送る。いくつか用を済ませるために、デリーへ向かうエクスプレスの寝台を予約。いよいよMPともナーマダとも別れる時が来た・・・・

  インド鉄道はずいぶんとスピードアップし、長時間の送れも少なくなってきたようで、 定時に出発してこの長距離を突っ走り、定時にデリーに到着した。驚くべきことである。私達はこの大都会にカルチャーショックを感じるけれど、 とにかくオールドデリーのツーリストキャンプに落ち着く。

[ ジャバルプール・写真集へ(15) ]


Lonavla〜Bombay(ロナブラ)〜(ボンベイ)

 デリー発ボンベイ行きの列車に乗り込む。トルシーと一緒に2等寝台で寝るのもいよいよこれで最後だ。ボンベイ近くで列車を降りて、地図を広げながら駅の叔父さん達と雑談していると、近くにあるロナブラというヒルステーションがよい、というのでプーナ行きの列車に乗りかえる。ロナブラはボンベイやプーナから多くの人がやってくるリゾート地のようだ。
 ジャンタホテルという快適な宿で残りの10日間、楽しい毎日を過ごす。ところがトルシーはデリー以来軽い下痢が続き、熱も出てきた。小児科のある病院を紹介してもらい、検便をすると虫がわいている。日本やヨーロッパでは珍しくなった腹の虫。インドでは今も一般的なので、お医者さんは「インド人なら誰でも一回はかかるんだよ。半年間で、トルシーがすっかりインド人のようになった証だね。」と笑っている。虫下しを飲むと下痢はストップし、彼女はまた元気になった。

 香辛料をはじめとした日用品、お土産にするベンガル(腕輪)など、残りの買い物を済ませて大型バックに積めこみ、さようならをいう時が来た。トルシーは飛行機に乗るのを楽しみにしながら、仲良くなった人達と別れる寂しさに耐えている。夕方、皆と別れを惜しみ、再会を約束してボンベイ行きの列車に乗り込む。ボンベイまで4時間あまりである。残された数時間、見るものすべてを目に焼きつけておきたい気持ちで窓の外を眺める。ラッシュアワーの喧騒、真っ赤に染まったインドの大きな太陽、ロバの嘶き、どこにいても聞こえてくる神々をたたえる歌声や鐘の音、すべてがいとおしい。あたりが白い煙に包まれた頃、私達はボンベイに到着し、タクシーで空港へ向かう。半年前ボンベイに降り立った時のことが思い出される。

[ ロナブラ・写真集へ(16) ]

 素敵な旅だった。神々や自然にガイドされた゛ティルタヤトラ"にて、私達は多くの経験をし、喜びを見出し、神の世界を学ぶことができた。神の偉大さに手を合わせ、私たちを快く受け入れてくれたインドの人々にも感謝しながら、バラータを飛び立つ。 

                                  Jai Sri Krishna !



ホームページはじめにインド旅行学ティルタヤトラ写真集ヴェーダの神々シンボル聖地と寺院人と暮らし旅の知恵コーラムヤントラゲストブック


© by Fumiko