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〔ヴェーダの神々と女神 : (1) | (2) |  (3) 


 

ヴェーダの神々(デヴァ:神々・デヴィ:女神)

 インドへたどり着いた旅人の目の中に、まず否応無しに飛びこんでくるのは神々の姿。彼らはあらゆるところに在るのだから。マッチ箱、カレンダー、タイル、広告、名前、地名・・・・。リキシャやバスの中で、お店やチャイ屋にも、絵や神棚は必ず見られます。人々は火の神、水の神、富や幸運、恋愛から交通安全まで、物質世界を司る神サマ達を崇拝するのです。インドにおける神々の世界は、ヴェーダの影響を強く受けた伝統をもつ日本人にとって、とても親しみやすい文化の接点でもあります。
 様々なエネルギーや力を持つ神々の性質は、各個人のなかにも見られ、人は人生の目的や成功を祈って神々を拝みます。商人や家族人は幸運の女神ラクシュミや豊穣の神ガネーシュを、良い結婚相手を望む若い娘や力(シャクティ)を求める男達はシヴァ神を拝む、というように。人生の中で起こる出来事は、すべて神々の影響を受けてゆくわけです。

 三億の神々や半神、聖者に聖王、自然や人類すべてを取り巻く壮大なインド神話は、私たちに世界のあり方を示し、教訓を与えるものであり、 神々の世界を司る神“Deva-Deva“(神々の神)を知るきっかけにもなります。――ある人はこの世界で死への道を進み、ある人はすべてを神に捧げてヴィシュヌ(神)への道をゆく。―― ヴェーダの神と神々の世界を探求します。




Veda

 ヴェーダ(“vid:知ること”、知識)は、すべての生命と宇宙全体を統制します。すなわち世界の物質存在はヴェーダに基づいているのです。 宇宙と精神に居住する魂の源である神を理解するために、世界はヴェーダをもとに創造されました。ヴェーダの教義は本来、神から神々へ、師匠から弟子へと口頭や意識の中で伝達され、実践されてきました。その歴史と師弟関係は古代、創世の時代にまでさかのぼり、ヴェーダの文化が最も古いものであること、そして永遠に存在する宗教サナタナダルマ(始まりなく終わりなき活動)であることを示しています。しかし、約五千年前にカリユガ (悪徳と無知の時代) が到来すると、人類の記憶力の低下を補うために、教えはデーヴァナグリ/サンスクリット語で記述されてゆきます。

 ヴェーダ文献には、リグヴェーダ(1017の神々への讃歌、マントラ)サマヴェーダ(メロディー)ヤジュルヴェーダ(犠牲の形式)アタールヴァヴェーダ(秘法の方式)があります。各ヴェーダは四つのセクションにわかれていて、1.サムヒターはヴェーダ讃歌と祈り。2.ブランマナスは儀式と犠牲の方式。3.アランヤカスは森林の文献。4.ウパニシャーデンは瞑想の方法。ヴェーダはジャイナ教や仏教、シーク教やヒンドゥー教など、インドにおける様々な哲学の基礎にもなりました。また、ヴェダンタブランマースートラには、ヴェーダを簡潔化した思想を見出すことができます。これらの文献は“スルーティ (sruti)“と呼ばれ、聞くことによって学び、理解してゆきます。 また、歴史書のプラーナ、およびマハーバーラタラーマヤナなどの叙事詩は、“スムリティ (smuriti)“と呼ばれ、記憶によって知識を保ち、増強することができます。子供の頃から聞き慣れる物語や演劇は、ヴェーダの理解を促進し、その間接形態な部分、スルーティの論理を定めます。

ヴェーダとヨガ

 ヴェーダの総大集又は最後である“ヴェダンタ”や神自身の文献としての顕現である“シュリマド・バガヴァタム(マハプラーナ)“は異なった主義のもとで伝えられている世界にある様々な宗教を含み、 人はその中に永遠のそして各個人に相応した精神の宗教を見出すことができます。ヴェーダに示される物質科学(avidhya)、哲学および宗教 は共に64種のヨガ=精神科学(Vidhya)を支えています。果報を求めた地域の大衆による宗教とは異なり、ヨガは自己と神を探求する人を自己達成と神愛(プレーム)の発見に導き、 個人の精神的な自己の存在と神との関係を認識するものであり、ヒンドゥー教を含む世界に存在する様々な宗教を超越しているといえるでしょう。
 64種類あるとされる個人の性質や性格にもとづき、自己と神を探求する活動であるヨガは、あくまでも各個人のアートであり、“主義”や“儀式”を重んじる団体の行動ではなく、もちろん体操や哲学的推測でもありません。ヴェーダに基づいた宗教生活を実践することは、ヨガのプロセスとして重要であるとともに、“バガヴァッドギータ”には、ヴェーダや宗教的憶測を放棄したヨガの道についても明確に記されています。

神と神々

 半神の神々(デーヴァ)や神の化身(アヴァターラ)は、模範として人類にヴェーダの宗教道徳の見本を示します。神々はその手に神聖なしるしを持ち、その力を示し、手と指で形作る“ムードラ”にはその特性をあらわしています。人は盛大な供養(ヤグニャ)を捧げて神々(デーヴァ)を喜ばせ、神々もまた人を喜ばせるのです。 こうした供養は各人の望みの達成や苦労の緩和を神々に求めるもので、その作用や効果を期待して行われ、 人と神々は互いに養いあって世界の繁栄をもたらすわけです。寺院を訪れては賽銭を投げ入れ、手を合わせて願をかける・・・・・・しかし神(バガヴァン)への道、ヨガの道をゆく人は自欲を求めず、宗教や祈りも捨てて神にひたすらひれ伏すので、神々のもたらす果報にも関心を持ちません。純粋で愛情深い献身に専念する“バクティ−ヨガ”のプロセスでは、愛を持ってのみ神との交流が可能になってゆきます。(バクティ=愛=献身)
Nathji, eine Form Krishnas

" Sri Nathji " (Krishna)
Devotion, 130kb , mp3


 劇や踊りもまた神話や神々をテーマとして演じられ、世界を活気づけています。 音楽において、キィャタンは神の名前を唱えるものであり、バジャンは神への献身と愛情を込めた歌。 ジャパは、耳を通して神経にも影響を及ぼすマントラを繰り返し唱えるもの。 神は自己的な解釈で演出されたものではなく、純粋に奏でられる音楽を楽しみます。

 世界と神々はエネルギーや多様な人格を持つ最高神を恐れてきました。だからこそ誰もが神を意識し、個人的に交流を持つことが可能であるといえるのです。 我々の目(cham chaksur)は物質世界に限られていて、神を見ることができません。知識の目(jnana chaksur)でヨガを理解し、それを成し遂げてゆくことによって、神聖な目(divya chaksur)が開かれて、神の世界を知ることができます。まずは神聖な知識や文献にもとづき、寺院に奉られた絵や神像、または河や山、植物や惑星などの自然条件に宿る神々を崇拝します。さらには大地のにおい、火の中の光、人間の強さ、そして罰を与える鞭などにも神の存在を見い出します。こうした訓練を続けることによって、自己とすべての魂の中に宿る神の存在(パラムアトマ)を認識してゆくのです。



――Vishva または Virat Rupam(神の普遍的な姿)――


神と神々
英雄としての個々の精神

バガヴァッド−ギータの賞賛
mp3 100kb

  ヴェーダによると3億3千万の神々が存在し、物質世界で活発に活動しています。これらの半神の神々は自然を支配し、様々な要素を司ります。五大要素である大地、水、空気、火、エーテル、そして時間、理解、知性や自我などのより繊細な要素も神々の影響を受けています。すなわち一本の草や路上の小石、さらにはヴェーダを理解する力も神々の影響なしには存在しえないのです。
  右の絵は、それ自身に神々を一堂に結合した神の普遍的な姿(ヴィラット ループ)をあらわしたもの。神はその光景を望むものに対して、原因の源としてその姿を個々の精神の前にあらわし、物質世界は神から完全に独立したものであり、独自の働きを持つことを説明しています。悟りの女神サラスバティを手の中に、創造の神ブランマーはその胸に、それぞれの腕には維持の神ヴィシュヌの24アヴァター(化身)を、豊穣の神ガネシャや破壊の神シヴァも見られるこの絵はバガヴァッド−ギータ(美しき詩)の11章の場面をあらわしています。マハーバーラタ(100,000の詩節)の第18章に登場するこの崇高な神の詩は、700又は701の節からなるヨガの科学における基礎であり、ヨガ サーストラ、またはヴェーダの秘教108ウパニシャーデンのエッセンスとしてギータ ウパニシャッドとも呼ばれています。

ヴィラット ループについてはヴェーダの傑作“シュリマド バガヴァタム”にも詳しく記述されています。 18000節に及ぶSrimad Bhagavatam はヴェーダの蜜であり、四つのヴェーダやヴェダンタ又はブランマースートラが合わせてコメントされています。18プラーナ(古い歴史書)の抄録として“マハ プラーナ”とも呼ばれ、スムリティに属します。左の絵は、母ヤショーダマタが土を食べてしまった神クリシュナ(幼少の頃)の口の中を覗くと、その中に全宇宙の顕現であるヴィラットルーパを見るという話を表しています。この偉大な精神文学の著者は、ヴェーダの知識を文学的に表わす為に出現した神クリシュナの化身、聖仙 シュリ ヴィヤーサ デヴァ。バガヴァタムは永遠性、精神の知識、至福(サット、チット、アナンダ)の認識を助け、ヨガの理解を促進します。


――Sri Krishna――


 笛を吹き、牛とたわむれ、女の子たちと踊る神クリシュナは、デーヴァ デ‐ヴァ(神々の神)として神々と全宇宙を統率します。同時に、魂の源として全ての生命の中にも存在する、物質世界を超越した最高の神(Sri Bhagavan)。スムリティの中でデヴァーキの息子、"Devaki Putra"とも呼ばれるクリシュナは、その多様な神格により“Ananta−Nam・限りなき名前(の持ち主)”としても親しまれています。牛飼いのゴパーラ、宇宙の神ジャガンナート、美しい黒色シヤムスンダラケーシャヴァマドゥースーダマヴァースデヴァ…… バガヴァッド文学は神の強さおよび放棄力名声知識について語り、神を理解しそこに近づくことを教えています。
 シュリマッドバガヴァタム、マハーバラタ/バガヴァッドギータ(神の存在をエネルギーのみとする(sat)一元論は700節。非明示・精神世界を含み、最高人格としての神を認める(tat)二元論は701節)ラーマヤナ、18プラーナは崇高なる精神の文学として精読されると同時に、歌や劇、踊りに再現されて大衆にも親しまれています。
 Lord Krishna
 スピリチュアルマスター“グル”は“(精神の)であり、生徒からは絶対的な尊師として崇拝されます。グルはサンスクリット経典に従った伝統的な教えを説き、新しいグルを育成してゆくべきであり、今日世界にはグルや生徒、それらを取りまとめる団体があふれていますが、不明解な秘伝や予言を売り物にして従事する生徒と献金のみを増やすグルや団体に関しては、時間の無駄にすぎないと思われます。
 様々な文献を参照し理解することも大切ですが、サンスクリット語原典からかけ離れ、何度も翻訳されたものや個人の憶測を大量に含む解説書、感覚を用いるのみの精神世界を説いたものなども頻繁に見られ、混乱を引き起こすことになりかねません。本来、経典には間違いがなく、それ自らすべてを明確に説明しているので、原典としてのサンスクリット語の文献を学ぶことが理想です(訳本は原語のテキストを含んだものが良い) 。 その著者は全てのグルのグルである神自身であり(ヴィヤーサ デヴァ)、これらの文献には研究者の見解や解説、宗教や団体、哲学的根拠を必要としません。全ては各人の魂の中に隠れているのですから。神の存在を誠意に受け入れることによって、彼はその姿やあり方をを示してくれるというわけです。人は神への“”でのみ、その素晴らしい、魅力的な世界を知ることができるのです。
------全てのヴェーダをまとめて一つの袋に入れると、
          二つ半の文字、“プレーマ(純愛)”になる。------

――Sri Venkateshwar (Vishnu)――

Vishnu


  インドで最も富豊かな寺院は南インドのティルマラにあり。献身者から“バラジ”とも呼ばれ愛されるヴィシュヌ、シュリ・ベンカテシュワーの寺院は、日々何万人もの巡礼者が訪れるインド最大の聖地です。ヴェーダの神々の中で最も崇拝されるヴィシュヌは、運と幸運の女神ラクシュミを妻とし、世界を維持しています。神とお金は結婚しているのです。
 献身および放棄を誓い、自らの髪をそり落としてから寺の門をくぐる男女を数多く見かけます。何百万のルピーはここで供儀や供物に変えられ、裕福な献身者は、各地より寺院用の空港に飛行機で乗り寄せ、バラジへの参拝を果たします。富みは必ずしも精神的な生活に反逆するものではありませんが、時に妨害になることがあります。献身者は最も高価である“ギー(溶かしバター)を神に捧げることにその富を使用し、そのほかにも野菜や米、ココナッツや花輪など愛情を込めたバラジへの贈り物が山と持ち込まれます。ティルマラでは、献上された純金の臼で粉をひき、井戸に貯めたギーを使ってヴィシュヌに奉る食事を作 るそうです。その御下がりは何千もの巡礼者にプラシャードとして与えられます。ヴィシュヌ献身者は 神愛のもとに暮らし、神との関係に満足し、個人的な神との交流(バクティ)に依存します。


――土着の神――

Tribal- God



 マハデオ山脈のジャングルのなか、古代の神像が一本の木の下に祭られていました。巡礼者によって供えられた米は、そこに暮らすサドゥーによって愛情を込めて料理され、再び神に捧げた後プラシャード(精神の食物)として食されます。



 人は形の整った石を洗い磨き上げてある場所に立て、神が存在する聖なる対象(ブランマー・ビンドゥー)として信仰し始めました。その石の前にひれ伏して敬い、献身を捧げて様々な教訓を学びます。全ての源である神は石の中にも存在することを知る原住民によって古代より続くこのような簡素な信仰は、人類がいつの世も信念を持って献身的に暮らしてきたことを意味しています。




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To be Vegetarian is Nonviolence in Action.


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背景画 (1024X768): 幸運の女神ラクシュミにマッサージされ、 乳海に浮かぶ蛇のベット(Sesha)に横たわるヴィシュヌ神。
何を考えているのですか?という彼女の質問に、私の創造主のことを考えています、と答えるヴィシュヌ。
海洋であるヴィシュヌの臍からは一本の蓮が伸び、その蓮の上には世界と宇宙の創造の神ブランマーが座し、 共に神を想っている。


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2006 © by Fumiko