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 日本でも、インドに負けないくらい沢山の神々が崇拝されているのは、ご存知の通り。今も世界各地にヴェーダの文化は見られます。しかし、急速に発展した様々な宗教や文明のなかで、神の顕在はうやむやにされてきました。仏教ではその哲学に神はなく、自然や宇宙的な力として神々(半神)が存在します。 モスクや教会、シナゴクでは、神が象徴をもって崇拝されることはなく、自然の神的な性質にもあまり触れていません。神以上に王や預言者や教祖が崇拝されているのが一般的です。したがって、自身は不明確で秘密な存在であり、様々な憶測や解釈が飛び交っています。

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自然と文明が一体化した

ヒンドゥー寺院。


 ヴェーダを実践する寺院や聖地には、神々そして人間自然のすべてが共存する文明が存在します。 聖地における神聖な対象はブランマービンドゥーと呼ばれ、そこに神や神々の存在を認めて足元にひれ伏し、供儀を捧げ、愛情を込めて崇拝されるのです。川の合流地(サンガム)や源泉、洞窟、シロアリの丘、木、山、滝など、神々の力による奇跡的な場所をティルタ(聖地)、その中でも半神の神々にちなんだ、いわれのある場所 は、デーヴァスタン(神々の地)と呼ばれます。寺院はマンディル(知性に近づく場所)であり、その中には神(Brahman, Paramatman 、Bhagavan)、神々(デヴァス)、聖者(リシ、ムニ)尊師(グル)や人格(サマディ)などが崇拝されています。

 日本や世界に残る聖地の多くは、今や観光地として認識されるようになりましたが、インドにおける巡礼の伝統は、神聖な目的と意識で聖地を訪問するものです。                   



  ピーパル、ニーム、バンヤンの三本の木は、ブランマー(創造)ヴィシュヌ(維持)マヘシュ・シヴァ(破壊)の三身一体寺院。
木陰と心地よい環境をもたらするこのような場所は、動物達はもちろん巡礼者や村人の会合または睡眠の場所にもなります。

Nag−Devta寺院
蛇は神聖な生き物。



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古い寺院には素晴らしい
献身の芸術を見ることが出来る。

  寺院を訪れる人は、敬意を持って神像との対面(ダルシャン)を果たし、神を瞑想し、ヨガの実践を試みることで、物質的・身体的な幻想の世界を離れて色鮮やかな神々の世界に入ってゆきます。
寺院における祭儀は人々の神や神々への親密な献身からなるものです。彼らは花や果物を神に捧げ、踊り、音楽を奏でてヴェーダの教えや哲学を経験します。こうして身体や感覚、魂は神聖な雰囲気と歓喜に満たされます。






---- 神々のゲストハウス----



マハナンディ寺院
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カジュラホ寺院
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 五万とあるシヴァ寺院の中でも、12のジョーティリンガム寺院はシヴァを信仰する人々にとって最も重要な巡礼地として知られています。 この12全てのシヴァ神との対面を果たすことは、冒険の旅に出る巡礼者の目標なのです。シヴァ巡礼のゴールともいえる、 中国側カイラシュ山への巡礼も、近年再び認められるようになりました。もちろんヴィシュヌやその化身の献身者もまたこのような伝統的な巡礼のルートを持ち、人々はいつの時代も絶えることなく聖なる地を巡ります。

 純粋な性質を持つ寺院や聖地における活動は、自己訓練を促進し恐怖のない平和な人生や旅を望む人にとって最良の場所です。寺院やその宿泊所は神に依存し、収入や獲得にとらわれず、神と精神世界を自ら探求しようとする全ての人を支えています。
 一部の半神や女神、ネパールやインド北部ヒマラヤ地方を除き、ほとんどの寺院や聖地ではヴェジタリアン・純菜食が実践されていて、飲酒や酒類の持ち込み、臭い玉ねぎやニンニクもご法度です。寺院への参拝や聖地での滞在にはこれらの点も尊重されるべきです。美しい寺院や宗教芸術は多くの外国人旅行者をも魅了しますが、献身活動、そして人生を通して宗教道徳を厳密に修練する人々に対する最低限度のマナーを心得て、敬意を示したいものです。


 寺院で毎日調理される食事は、神に捧げられた後プラシャード/プラサダムとして全ての参拝者に提供されています。 人々は神の訪問客として自らさまざなな義務を受け入れ、寄付をしたり活動を捧げて供儀の循環に加わります。寺院の調理人は自分の好みや舌の感覚に頼るのではなく、アユルヴェーダの知識に従って神の食事を作る料理の専門家。純粋な愛情が込もったその味は超越的なものとなります。 
 巡礼者は寺院境内やダラムサラ(宿坊)、時には民家に宿泊場所を与えられ、ケンティンと呼ばれる食堂で、無料または安価でプラシャードをいただくことが出来ます。自炊をする巡礼者の為に、鍋やバーナーなどの調理用具を貸してくれる場合もあり、神々は訪問者のために全てを準備してくれるというわけです。寺院を中心に町全体が巡礼者を支えている大きな聖地では、独自の発電所を使用たり、専用のバスサービスや空港まで設備して神々のゲストを受け入れているところもあります。 もちろんインドでは旅行会社も様々なティルタ‐ヤトラのルートや案内を提供しています。


 聖地を巡る旅には物質世界の汚染を洗い流して生命を浄化する働きがあります。 マンディル、デーヴァスタン、ティルタ、と呼ばれる神聖な場所は汚れや不純な思考を吸収する役割を果たすのです。こうして巡礼者はその旅に与えられる全ての喜びを自然に受け入れてゆきます。 寺院やアシュラム、ジャングルの奥深くを訪れて、僧、哲学者、ヨギ、サドゥー、巡礼者、などに出会い、精神的な交流を深めることによって、そこで得た知識や経験を、自己と神を探求する時間のない人達に伝達することが出来るのです。

 聖地に出会う精神文化、そして各個人によるそれらの実践はヴェーダの文献に基づき、 神への尊敬と純粋な愛情からなるものです。神は全ての生命体の心の中にその寺院を持ち、各生命の意識の中に存在します。 神と向き合うとき、祈る(頼む)のではなく、欲求を捨て愛情を捧げることを望んだ献身活動や供物はギブアンドテイク・犠牲の循環を純粋に健康的に保つのです。神から自然へ、そして再び神へ……

 3億3千万の神々もまた神から与えられる仕事をこなし、その力と性質で世界自然をコントロールしています。こうして神と人間は互いに依存しあい、寺院は精神の世界への媒体として、神への愛と草花や果実などが捧げられる場所です。そこに見る素晴らしい美術や建築や音楽(バジャン)ヴェーダを表現することに専念しているので、文献を学ぶことで理解が一層深まります。 探求者は神との交流による歓喜のエクスタシーを経験し、献身活動によって恍惚となる境地を実感してゆきます。





---- 寺院 ----


 

東インドの寺院



ブバネシュワーの寺院


非常に厳しい自然条件のもとに暮らすオリッサの人々は、より熱心に神々を崇拝し供儀を奉げる。


Sri Jagannath

 宇宙を制御する神、ジャガンナート寺院:この寺院はヒンドゥー教徒以外の参拝を禁じていて、無許可の人間が立ち入った際には寺院を閉鎖し、隈なく清掃するほどです。寺院へ入ることの出来ないカーストの人々は、年に何度か寺院を出て神輿に乗り旅に出る宇宙の神、ジャガンナートを拝むことが出来ます。その中で最も大きなラタ‐ヤトラには、ジャガンナート神をひとめ見ようとする何十万人もの人々が訪れ、最高神に対する献身的な祭典が繰り広げられます。


南インドの寺院


Srisailam; Yotirlingamtempel

寺院の門と外壁。


古い文献による神聖な場面を表現。



外壁に沿って一周すると
壁全体に彫られた献身の芸術に
驚嘆せずにいられない。

verzierte Mauer



南インド・ドラヴィダ様式の寺院は素晴らしい石彫りで
神々の世界を表現しています。




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© by Fumiko